遺伝子疾患といのちのしくみ

いのち はどこにある

ほとんどの人がしらない、いのち の正体

b01.png物質ではないのは、知っている。
紀元前の太古から「いのち」が、あるということは人類は知っていました。
「死=いのちがない」「生=いのちがある」ということは、説明できます。

では、「いのち」は、どこにあって、どんな姿で、どこからきて、どこへいくのか。
という不思議に対しては、各地の人々が様々な想像をして、もっともらしい説明をしてきました。
「いのち」に対する疑問が、宗教のはじまりとも考えられます。

なにを、どう信じるのか、または否定するのかは、各人の自由です。

科学的には塩基という物質が結びついてDNAを構成し、成長や繁殖をしているのが「生物」つまり「いのちのあるもの」とされています。
体は物質であることは、だいたいの方が納得されることでしょう。しかし、現代科学で、チミン・グアニン・シトシン・アデニンというDNAの部品をあつめて生命体をつくることはできません。

子どもが、ブロックでつくったものや、ぬいぐるみを相手に、遊んでいる方が、よっぽどその物質に命があるように感じられます。

あなたは、卵や精子のときに、なにか考えていましたか?
あなたは、死後に、なにか思いめぐらせることがありますか?
記憶にないことと、未体験なことですよね。

デカルトの「我思う故に、我あり」という言葉が有名ですが、”今”思っている、考えている、よくわからない何かが、いのちの正体だと思いませんか?

いのちあるもの の特徴

いきもの には 生き方がある

b02.pngインフルエンザ菌 から 人間 まで

この世界にある「いのち」の数は、数えることができません。
あなたが、今日出会った「いのち」の数を思い出すだけでもむずかしいくらい、たくさんの「いのち」があります。

ここで、「いのち」があるものを「いきもの」と呼ぶことにしましょう。
「いきもの」は、みんな生き方があります。
むずかしいことではありません、とても簡単な3つのことです。
「生まれること」「生きること」「死ぬこと」
この3つが、すべての「いきもの」の生き方です。

「生まれること」は、自然なことです。(産むこととは、異なります)
「死ぬこと」も、どうしようもないことです。

「生きること」の違いが、それぞれの「いきもの」の違いになります。
「いきもの」は、ほおっておくと、どんどん増えようとします。
けれども、無限に増えることはできないようです。
増えすぎると、減るようになっています。
わがままな「いきもの」がいると、消えてしまう「いきもの」がいます。

ぜんぶの「いきもの」が、お互いに支え合って生きています。
どの「いきもの」も幸せになろうとしています。
それはインフルエンザ菌のような「いきもの」からヒトという「いきもの」まで、みんなおなじです。
DNA(RNA)の量や質がちがっていても、「いきもの」としては同じことをやっているのです。

ですから、ぜんぶの「いきもの」のバランスがとれている状態が「いきもの」にとって幸せなことです。
虫も動物も植物も、おたがいに願っていることは、あまり変わらないのかもしれません。

ウィリアムズ症候群と、そうでない人の違いは、「いきもの」のレベルで考えると、とても小さな違いだということが分かります。私たちが、その小さな違いに、悩んだり、心配したりするのは、どうしてなのでしょうか?
ウィリアムズ症候群としての生き方・・・ほかの「いきもの」と比べてどうですか?


個々の違い

いきもの には 個体差がある

b03.png個体差をどうあらわすのか

生物学的には、いきものの違いはDNAに由来すると解釈されています(ウィルスなどはDNAではなくRNAというもので生命の情報をもっているものもいます)。
このDNAの量の違い(塩基対の数の違い)や染色体の数の違いから、いきものは多種多様な姿や性質をもっています。

ところで、いきものは次世代を残そうとする性質があります。次世代を残すために、自分のDNAをコピーするのですが、完全に一致したコピーをつくるわけではありません。
真核生物(細胞の中にDNAを保管する核のあるいきもの)の場合、次世代のもと(花粉・卵・精子など)をつくる時には減数分裂という特別な細胞の分裂をします。
2本1対の染色体が、1本ずつに分かれる現象がおこるのです。

しかしハサミで半分に切るような簡単な分裂ではありません。2本1対のそれぞれの1本がもっている遺伝子情報を少しずつ取り替えながら分かれていきます。
つまりヒトでいえば、卵や精子がもっているDNAは、同じ人間のものでも微妙に違うということです。
もしこれが、単純な分裂とコピーの繰り返しなら、1ペアの両親から産まれてくる子どもは、全く同じクローンのようなきょうだいになってしまいます。

極端に言えば、すべての生物は親のDNAに変化が加わって、次の世代が産まれているのです。
ウィリアムズ症候群などの遺伝子疾患の場合は、この変化の段階で不明な何らかの原因によって、DNA上の塩基配列が変わる(または欠ける)ことによって、本来DNA情報から合成できるアミノ酸ができなくなり、結果としてその部分の遺伝子が欠失となってしまっているのです。

DNA情報というものは、ほんのわずかの違いで、容姿や性質が変わってしまうものです。
例えばヒトとチンパンジーとの差は1%ほどだと言われています。ヒトとヒトの差では、わずか0.1%の差とも言われています。
減数分裂のときに、背が高い低いをコードしているDNAの部分が変化を起こしたのか、エラスチン生成にかかわる7番染色体の一部をコードしているDNAが変化したのか、という程度です。

ですからDNAの塩基配列という天文学的数字から比較すれば、特に病態のみられな人と、ウィリアムズ症候群の人は、大差がないということになってしまいます。

しかし、現実的には循環器系疾患に加え、軽度から中程度の知的しょうがいを伴うなどの様々な病態が生じてきます。
自然界では日常茶飯事に起こっているDNAの変化の結果を、私たちがどう受け止めるかが大切なのかもしれません。
少なくともクローン動物や遺伝子組み換え植物よりも、ウィリアムズ症候群の方が自然の姿であることには間違いありません。
スーパーマーケットで、色形の良い果物や野菜を選んだり、出会う相手を好き嫌いで判断したりするような習慣がついてしまっているとしたら、ウィリアムズ症候群を受け入れる心の準備がもう少し必要なのかもしれません。