めっせカクテル パーティー とは
「だれにでも、親しく声をかけていく」傾向
「壁」は持っているが、それは箱ではなく、迷路のような壁かもしれません
ウィリアムズ症候群の特徴として「カクテル パーティー様の性格」という表現がつかわれることがあります。
私たち日本の文化では「カクテルパーティー」なんて、シャレたパーティーに参加した経験のある方は、ほとんどいないのではないでしょうか?
英語圏で研究が進んだウィリアムズ症候群ですから、英語の資料を翻訳すると、カタカナで表現せざるを得なかったのだと考えられます。
「飲み会」や「コンパ」の席で、誰にでもフレンドリーに積極的にアプローチする姿を想像すると、ちょっとニュアンスが変わってしまいます。
私たち人間は、無意識のうちに「自他の区別」を巧みに操っています。
「私が他人に与える影響」と「他人が私に与える影響」を、経験による学習と、気質的な反応で、瞬時に、とるべき行動を判断しています。
親子の絆にはじまり、人見知り、集団行動、社会的な適応と、段階的に「自他の区別」のしかたを会得するのが一般的です。
では、ウィリアムズ症候群の場合、「自他の区別」ができないのでしょうか?
答えは「NO」です。そして、その程度に個人差があるのは、もちろんのことです。
ウィリアムズ症候群でも、TPOを判断する能力を身につけることができている人は、たくさんいます。
注目するべきなのはその衝動性なのかもしれません。
「話かけたい」「近づきたい」といった思いをどうコントロールするかが、療育の課題です。
つまり、単なる「性格」ではなく、その根底にある「気質」に目を向けることが大切です。
私たちはパーソナルスペースという自他を区別する壁の箱の中で生きています。そして、この壁の高さや箱の広さを調節して人間関係を築いています。
けれども、ウィリアムズ症候群などの人は、迷路のような壁の中ですごしているのかもしれません。あるときは、相手に向かって一直線に開いた道を走ることもあり、あるときは、行き止まって不安になってしまうのかもしれません。
ウィリアムズ症候群が生まれつき身につけている「なれなれしさ」は、私たちが想像するよりも、もっと複雑なものなのかもしれません。
「知らない人」は要注意なのか
警察や学校が教える、ひとつの「偏見」
「知らない人」に声をかけられたら・・・
ウィリアムズ症候群の長男が、学校からプリントをもらって帰ってきました。
「知らない人から声をかけられたことがありますか?」
「こわい人に会ったら、どうしたらよいのでしょうか?」
といった内容のものです。
子どもをねらった事件を抑止するための、啓発・教育が目的なのでしょう。
生物にとって「未知の存在」は「恐怖の対象」です。
知能が発達した生物には、これに「好奇心」というものがともなってきます。
さて、私たちの愛するウィリアムズ症候群の人々はどうなのでしょうか。
どこへいっても、誰ともかまわず声をかけ(年上の大人か幼児が対象となりがちです)、あたかもその場の案内係のようなおしゃべりを、よろこんで繰り返します。
幼児には、保育士の実習生のようににこやかに話しかけて、笑顔を誘います。
これらの行為は、小学生ぐらいまでなら、微笑ましい光景に見えるかもしれません。
しかし、これが中高生から成人になると、事態は急変します。
微笑ましい光景が、犯罪の一歩手前と受け取られかねなくなってしまいます。
もしくは、「未知の不可思議な存在」と見られてしまうかもしれません。
たいていの療育や教育では、適切な相手との関係(アプローチの方法)を教えます。
むやみに抱きついたり、キスをしたりすることを抑制します。
社会の暗黙の了解を、明確に伝える手法が取り入れられています。
さあ、ウィリアムズ症候群の子どもたちには、どう教えたらいいのでしょうか。
「知らない人に声をかけられても、ついていってはいけません」でしょうか。
「知らない人に、だれにでも声をかけたり近寄ったりしてはいけません」でしょうか。
ここでは、答えはだしません。じっくりと、考えてみてください。
「こだわり」への対応
「こだわり」は、直すべきものなのか?
実は誰にでもある「こだわり」というもの。
「こだわり」という言葉は、肯定的な意味でつかわれる場合と、否定的な意味でつかわれることがあります。
たとえば「こだわりの味」というフレーズから連想されるのは、とても美味しい味と思う方が大半を占めるでしょう。
しかし「こだわりが強い」というと、頑固で扱いにくいイメージを持ちませんか?
福祉の現場では「こだわり」は、マイナスの要素としてとらえられがちです。厚生労働省は、知的しょうがいの程度を調査する時の項目として「こだわり」ということを扱っています。「こだわり」の程度が強いほど、日常生活に問題があるとしてあつかう方針がうかがえます。
では、適当に妥協すればよいのでしょうか?ほどほどに、あきらめればよいのでしょうか?
例えば、銀行で日計するときに数十円の違いを「だいたいこれで大丈夫」と言って許されるでしょうか。
銀行員は1円たりとも間違いのないように集計・計算することが求められます。最終的に1円合わない場合でも、はじめからきちんと計算をやり直します。
また、営業職で午前中外回りをして1件もあたりがなかったとき、「今日はもうやめよう」といってあきらめて喫茶店ですごしてしまっては、会社にとって問題のあることです。
実は「こだわり」は、わたしたちにとって大切な欠かせない要素なのです。ポリシーとでも表現すれば、視点を変えることができるでしょう。
仕事の他にもたくさんあります。「好きな色」「お気に入りの服」「家事の手順」「恋愛の対象」「落ち着く場所」「趣味で使う道具」、などなど。
ちょっと考えてみるだけで、私たちは「こだわり」だらけの生活をしているのです。
では、しょうがいによる「こだわり」とは、いったい何なのでしょうか。
近い意味の単語で「執着」という言葉があります。ある事象に意識をしばられてしまい、正しい判断ができなくなっている状態です。
「正しい判断」ということが「今の一瞬を大切に、すべての命の幸せのために生きるための判断」
であるとすれば、ほとんどの人々が執着という「こだわり」、すなわち問題行動をとっていることになってしまいます。
俗に「こだわり」を問題視する場合は4つの場合です。
(1)「こだわり」により、本人に身体的危険がある場合。
(2)「こだわり」により、支援者の思い通りに動いてくれないとき。
(3)その時の常識の範疇から、「こだわり」の様子が極端にはずれているとき。
(4)「こだわり」の理由や内容を、まわりの人間が理解できないとき。
驚くことに、4つの内の3つが周囲の人間の判断によって「こだわり」問題行動とされていることです。
ウィリアムズ症候群の音楽的才能や社交性と「こだわり」が結びついたとき、そこには予想不可能な才能の開花があるのかもしれません。
他人の「こだわり」のまえに、自分の「こだわり」をメモに書き出してみると面白いかもしれませんよ。
聴覚過敏
「耳」ではなく「脳」に、その原因はあります。
「聴覚」は、耳の鼓膜がとらえた振動が、神経を通じて脳に伝わることで成り立ちます。
音が聞こえるというプロセスを復習してみましょう。
「音波」という言葉があるように、音は「波動」であらわされます。
「波」は物質が震えることで起こります。その振動は、空気・水・金属・草木など、あらゆるものに伝わっていこうとする性質があります。最終的に、振動がヒトの鼓膜に伝わるところから「聞こえる」のプロセスが始まります。
耳の構造に問題がなければ、鼓膜ー中耳の耳小骨(3つの小さな骨のセット)ー内耳のうずまき管ー聴神経ー脳(主に側頭葉)、という順番で信号化されて脳が「聞こえた」と反応します。
特定の音源や場面に対して聴覚過敏がある場合は、耳から聴神経までには特に問題はないと考えられます。
脳に音の信号が届くと、一般的にその正体が一体何なのかを突き止めようと脳内がフル回転します。
聴覚以外のの視覚・触覚・嗅覚などのセンサーを働かせたり、過去の記憶とマッチングさせようとしたりします。「いのち」は安全を求めようとするので、音源が自分の生命を脅かす存在かどうかを真っ先に確認しようとするのです。
聴覚過敏の正体は?
このあたりから、一般的な聴覚の反応と、聴覚過敏の反応が分かれてきます。
脳は、神経細胞がからまり合った毛糸玉のようなものなもので、その神経に信号が流れることで脳の機能が働きます。信号は脳神経をながれる微小な電流と、神経と神経の間をつなぐ「神経伝達物質」によって伝わります。
これはコンピューターの中のマイクロチップ以上に複雑で巧妙なしくみになっています。
まさに最高の精密機械といえる機能をそなえているので、とてもデリケートでもあります。
裏を返せば、ほんのわずかなことで、間違った信号がながれてしまう可能性が大きいのです。
ウィリアムズ症候群の原因である、ヒト7番染色体のq(11.23)領域には、現在20程度の遺伝子が含まれていると言われていますが、まだ完全に解明されていません。ですから、聴覚に影響をあたえる遺伝子が含まれている可能性もあり得ます。少なくともウィリアムズ症候群は生体の設計図のDNAのレベルから一般的な形質と異なるので、脳の設計図がユニークな設計になっていても不思議ではありません。
ユニークな配線ゆえに、音の信号が危険の合図として伝わったり、不快な合図として伝わったりすることは十分に考えられます。
つまり、脳のしくみそのものが原因のひとつであると考えることができるのです。
学習による配線の変化
人間は、脳の配線がどうであれ、信号が流れている限り「学習」をしています。
ショッキングな大きな出来事から、無意識にとらえていたガラクタのような出来事まで、すべて脳に記憶されいきます。大脳が大きく発達した生物は、皆すぐれた記憶力をもっています。
(一般的につかわれる記憶力は、正しくは記憶の「再現力」です。)
とにかく、刺激ひとつひとつに対して、脳の神経は反応して配線が伸びたり、太くなったり、バイパスができたりしていきます。
特に同じ刺激が繰り返し脳に伝わると、その信号に対する配線が強化されます。
これをうまく応用すれば、聴覚過敏をある程度緩和することも可能です。
聴覚過敏としてあらわれる様子は、「耳をふさぐ」「しゃがみ込む」「動けなくなる」「大声で泣く」「突発的に逃げ出す」などがあげられます。
これらの行動は、ヒトが安全確保のためにとっさに出る行動とほぼ一致しています。
つまり、特定の音に対して恐怖を感じていると考えることができます。
そうであるとすれば、特定の音が聞こえる時に、「安心感」を同時に与えることを繰り返してあげることが有効な手段となってきます。(あえて、嫌な音を出して訓練することは逆効果になり得ます)
聴覚過敏があらわれたときには、「抱いてあげる」「手を握ってあげる」「背中に手を当ててあげる」などの原始的な(けれども確実な)方法で危険でないことを伝える方法があります。
また、音が届きにくい遠くから音源を見せることで「聴覚」ではなく「視覚」を通して、音源が無害であるということを学習するかもしれません。
ウィリアムズ症候群ではモーター音・ピストル音などが聴覚過敏を引き起こす音源として報告されていますが、年齢ともに過敏反応が弱くなる場合もあるので、学習による変化も期待できます。
特別に過敏な場合
また、聴覚過敏はウィリアムズ症候群に限った症状ではありません。主に知的しょうがいのある人々には、多くみられる症状ですから、あわててどうにかしようとする必要はありません。
日常生活にどうしても支障があるなら、耳栓やヘッドフォン型の防音用具が販売されているので検討してみる価値はあります。しかし、「装着すること」を嫌うこともあるので、安易に買わずに、福祉用具のショールームがあるところで試してみてから購入することをお勧めします。
私たちにもある過敏反応
聴覚過敏は、しょうがいのある人に限られたものでもありません。
カミナリの光と音で、耳をふさいでしゃがみ込む人々は、数えきれないくらいいます。
黒板を爪を立てて引っ掻く音、マイクのハウリング音、歯科のドリル音・・・
個人によって、これらの音に対する反応は変わってきます。
ほ乳類は中生代初期(約2億5千年前)に出現したといわれていますが、この頃のほ乳類は小型のものがほとんどで、その後もジュラ紀・白亜紀にかけて恐竜などのエサの対象にされていたようです。
草木の生い茂るなかで、遠くから近寄る恐竜から生き残るために必要な機能・・・それは「音を聞く」能力に他なりません。
私たちは、いまだに原始的なレベルで音に対して反応をしているのです。
目を閉じて歩いてみてください(安全を確認してからにしてください)、他人の足音やエンジン音、どこからか聞こえる会話・・・。聴覚は意識している以上に、刺激をうけているのです。
問題はなにか?
さいごに「聴覚過敏」に対する、整理をします。
これまでの話から、「聴覚過敏」そのものを悪者扱いすることは、適切ではありません。
もしかすると、聴覚過敏は音楽的才能の重要なファクターのひとつかもしれません。
聴覚過敏によって生じる「行動」が日常生活に影響を与えていることが、焦点であることに気づいてくるはずです。
「行動」に対して、まわりの人々がどのように対応するのか、どのように思うのかが重要です。
「聴覚過敏があるから○○できない」「外出すると音でパニックになる」などの監護者の訴えをよく聞きます。
本当にその時にやらなければ生活ができないのか、その外出は本当に本人のためになっているのか、頭の中を一度白紙にして考え直してみてください。そこに監護者の希望や過剰な期待が入り込んでいないか、慎重に、冷静に考えてみませんか。
「嫌な思いをさせたくない」という理由には同情します。
動物は私たちも含めて「嫌な思いをすることが、日常です」。どんなにお腹をすかせたくないと思っても、お腹は勝手にすいてしまいます。かといって24時間食べ続けると、食べ物を見るのも嫌になること請け合いです。
「しゃがみ込んだら ー 待てばいい」
「大声で泣いたら ー 泣きつかれるまで抱いてあげればいい」
そういう心構えが、いちばん安心感をあたえるもとになっていると、思いませんか。
コミュニケーション(1)
コミュニケーションとは、相互意思伝達をすること。
コミュニケーションに必要な要素について
コミュニケーションは、独りの世界では存在しません。それは、必要性がないからです。
どんなに大声で、正しい文法で、滑舌よく話をしても、ただの独り言でしかありません。
では、2人の世界ではどうでしょう?
「相手がいるのだから、そりゃコミュニケーションは必要でしょう」と思われるかもしれません。
そこで、ちょっとimagine...
真夜中の駅。1番線のプラットフォームで電車を待つあなた。
レールを4本またいで、反対側プラットフォームの2番線のさらに向こうの3番線で電車を待っている、全く知らない他人Xさん。Xさんは、こちらに背を向けて、ただ雑誌を眺めながら電車を待っている。
あなたは、電車が時間通りにくれば、他に用はない。
このような状態で、あなたに求められるコミュニケーション能力とはなんでしょう?
「こんばんは!」と大きな声で話しかけますか?
電車は無視して「ちょっとお茶でも・・・」と3番線フォームまで歩いて行きますか?
ほとんどの方が、自分が乗るべき電車に乗り、次の朝にはXさんの後ろ姿なんて覚えていないしょう。
もうひとつimagine...
ひっそりとした田舎道。自動車も通らない、集落の一角を、とある用事で初めて訪れたあなた。
ふと気がつくと、先の道端に横たわる老人の姿。
近寄ってみると、息はあるが、苦しそうな様子・・・。
善意あるほとんどの人が呼びかけるでしょう。「大丈夫ですか?どうかしましたか?」と。
どんなに呼びかけても、老人は苦しそうな顔をするだけで、一切答えない。
救急車を呼ぶか、近所に手助けを求めるか、あなたは妥当な判断と行動をとることでしょう。
この時、あなたと老人との間には、コミュニケーションがあったのでしょうか、なかったのでしょうか?
最後のimagine...
毎日のように通る、あなたの家の前の道。
ある日、その路傍に新しい段ボールが置いてある。そして鳴き声が聞こえる。
捨て猫だ。(猫嫌いなら捨て犬と読み替えてください)あなたに向かって,鳴き続けている。
あなたなら、どんな行動にでるでしょうか?
無視をする・保健所へ通報する・頭だけでも撫でてやる・エサを与える・家へ持ち帰るetc...
対応は、人それぞれでしょう。
さて、この場面で、あなたと捨て猫(犬)との間のコミュニケーションは成立するのでしょうか?
コミニュケーションというと、人と人との意思のキャッチボールを思い浮かべるものです。
商談、会議、恋愛、夫婦、親子・・・さまざまな場面が頭をよぎることでしょう。
一般的に使われるコミュニケーションという言葉は、とても高度な意思疎通です。
3つのシチュエーションのコミュニケーションについて、次項で考えてみようと思います。
コミュニケーション(2)
相互意思伝達に求められるもの。
相互意思伝達は「究極の思い込み?!」
コミュニケーションは、相互意思伝達と表しましたが、その実体は何でしょう?

コミュニケーションには次の4つの要素が必要です。
【1】送り手 【2】伝える内容(メッセージ) 【3】伝える手段(チャンネル) 【4】受け手
【1】送り手は、「こころ」のあるものであれば、何でもかまいません。
【3】伝える手段は、基本的に物理的なもので構成されます。それは音・光・電流・圧力など多岐にわたります。
【2】伝える内容は、煙のようにとらえにくい存在です。それは「こころ」とよばれたり「意思」とよばれたりします。扱いにくいのは、実体が物理的なものでない上に、休むこと無く常に変化し続ける存在だからです。
しかも、送り手自身がその内容を明確に認識できていない場合があります。
【4】受け手は、「送り手」が「コミュニケーションが成り立っているかどうかを感じるかどうか」で変わってきます。
一般的には、受け手にも「こころ」があることが前提に、コミュニケーションが成立するとされています。つまり、「受け手」は「送り手」になることもあり、「送り手」は「受け手」になることもある、ということです。
コミュニケーション(1)で例示した3つのパターンについて考えてみましょう。
パターン(1)
真夜中の駅。1番線のプラットフォームで電車を待つあなた。
レールを4本またいで、反対側プラットフォームの2番線のさらに向こうの3番線で電車を待っている、全く知らない他人Xさん。Xさんは、こちらに背を向けて、ただ雑誌を眺めながら電車を待っている。
あなたは、電車が時間通りにくれば、他に用はない。
あなたが【送り手】であるとすると、【受け手】であるXさんには用がないので【メッセージ】は存在しません。従って、【手段=チャンネル】も不要です。そうすると、コミュニケーションは不成立ということになってしまいます。
ところがXさんが【送り手】だと仮定します。実はXさんは、いつも改札口で見かける【あなた=受け手】の存在が気になっているとしたらどうでしょう?内気なXさんは、あなたに声をかけることができず、ただ今は背を向けて雑誌を読むふりをしながら後方のあなたこことをとても意識しています。【送り手】Xさんは、あなたへの【メッセージ】をたくさん抱えていますが、それを伝えるための【チャンネル】をあなたに届くように使えていないだけ・・・。と想像すると、コミュニケーションが発生しようとしているけれども、結果として不成立となってしまいます。
もしかすると【送り手】としてのXさんは、何らかの【チャンネル】で発信しているのかもしれませんが、【受け手】のあなた側が受信できていないだけなのかもしれません。もちろん、コミュニケーションとしては不成立なのですが、【メッセージ】は存在し、その行き場が定まらない状態があり得るということに気づいてください。
パターン(2)
ひっそりとした田舎道。自動車も通らない、集落の一角を、とある用事で初めて訪れたあなた。
ふと気がつくと、先の道端に横たわる老人の姿。
近寄ってみると、息はあるが、苦しそうな様子・・・。
老人が【送り手】となっています。【チャンネル】は「苦しそうな様子」です。
老人が伝えたいこと【メッセージ】は、わかりません。
【受け手】のあなたは、老人の【メッセージ】が何なのか想像するしかありません。
あなたが、老人に対して何か語りかけて、【メッセージ】確認できる反応があれが、コミュニケーションは成立します。
あなたが、どう手を尽くしても、それに対する反応がない場合は、コミュニケーションは成立しません。
ウィリアムズ症候群にかぎらず、一方的に話しかけることが多く、逆に話しかけられても反応がとぼしかったり、見当違いの答えが返ってくることがあります。
このように【メッセージ】が一方通行である場合は、どうすれば良いのでしょうか?
それは、もうひとつのコミュニケーションの要素である【チャンネル】を合わせることです。
実物を示す・イラストや文字のカードを使う・音を使う・ゼスチャーする、etc...
【チャンネル】は無限にあります。
無限の要素の中から、お互いに通じ合える【チャンネル】を見つけることができれば、適切なコミュニケーションが成立します。
無限の要素の中から探り出して行くので、とても大変な作業です。試行錯誤する時間が必要です。
一方通行のコミニュケーションを、相互理解に変えてゆくのも療育のひとつです。
「あせり」や「いらだち」は【メッセージ】のノイズ(雑音)になってしまいます。
ゆっくりと落ち着いて【メッセージ】を想像しながら【チャンネル】を探してみましょう。
パターン(3)
毎日のように通る、あなたの家の前の道。
ある日、その路傍に新しい段ボールが置いてある。そして鳴き声が聞こえる。
捨て猫だ。(猫嫌いなら捨て犬と読み替えてください)あなたに向かって,鳴き続けている。
言葉をもたない、動物があいてでもコミュニケーションを成立させることは可能です。

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