いきること vol.12
きょうだい
何かと後回しにさせられてしまいがちな、しょうがいのある人の「きょうだい」についてのお話です。
「きょうだい」にも、いろいろな形があります。一般的には同父母から生まれた子どもたちを指しますが、異父異母のきょうだいも、まったく珍しいことではありません。
今は少なくなりましたが、里親制度も新しいきょうだい関係がうまれるきっかけの1つです。
とにかく「きょうだい」という関係は、身近すぎて見えにくくなっていますが、案外複雑で、多様な関係で結ばれているものです。
つまり「きょうだい」は、血縁の有無または、それぞれの関係のあり方によって、私たちが「きょうだい」と命名しているにすぎないのです。
もっと突き詰めると、「きょうだい」とは実態のないものです。生命という実態のつながり方を表した抽象的なものなのです。
しょうがいのあるきょうだいを持った人たちから話しを聴くと、ほとんどの方が何らかの寂しさや不満をもっています。
しかし、ときどき子どもの作文で、「わたしのきょうだいは、しょうがいがあって大変だけど、○○ちゃんがいてくれてよかったと思います。」といった内容のものを見ることがあります。
こういった作文を起用する機関誌などは、たいてい親の目線中心のものです。いわゆる「XXの親の会」といった集まりのの保護者は、その作文を読んで安心してしまうのです。そして、自分の子どもたち(きょうだい)も、そうあってほしいと願い、そうあるように教育しようとします。
しかし、見落としてはならないキーワードが必ず存在します。例えば、前述の「大変だけど」の一言。
この「大変」の文字の中に、どれだけの経験がつまっているかを想像することは、なかなか難しいことです。とても長い年数、数え切れないエピソードをぎゅっと集約して「大変」と表現しているのです。
それでも「よかった」と言えるには、相当な愛情と受容の欲求が満たされていることが必要です。
小学生でも本音と建前を、上手に使い分けるものです。道徳の時間には模範的な発言をしても、実際にはかなり自由奔放に生きているのが普通の姿です。
アメリカの有名な心理学者でアブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow)という人がいます。
ご存じの方も多いでしょうが、彼の人格論の中に「自己実現論」というのがあり、その中で人間の欲求を5段階のピラミッドで表した「欲求の5段階説」というものがあります。
衣食住の生命維持や安全性の欲求から、社会的な認知、自己実現にかけて、人間の欲求を5段階に分けたものです。(この説の詳細な解説は、ここでは省略します。)
命の安全性を確保したら、次は「受け入れられたい、愛されたい」といった気持ちがでてきます。
くだけた表現をするなら「かまってほしい、遊んで欲しい、話しを聴いて欲しい」といったところでしょうか。
しかしながら、きょうだいの中に、しょうがいのある人がいると、親としては手がかかるため、ほかのきょうだいに充分にかまってあげられる時間がないのが現実です。
しかし愛情は時間だけで満たされるものではありません。ピンポイントでいいので、どのきょうだいも同じように大切に思っているということを伝えれば、かならず伝わります。
通りすがりに頭をなでてやるだけで随分違うはずです。親子で料理や物干しをしながら話しをすれば、お手伝いをしたという自己満足と話を聴いてもらえたという、一石二鳥の効果もあります。
もう一つ、きょうだいを悩ませる問題があります。
親亡き後、しょうがいのある人のきょうだいに面倒をまかせようとすることです。
きょうだいが助け合うことは、とても良いことです。しかし、これは自発的で自然に支え合うことが前提にあります。無理矢理に、手助けをきょうだいに強要することは親であっても、本来は出来ないことです。
自我が形成された時点で、親子であっても別々の生命であることを忘れてはならないのです。
親であっても、その子どもをひとつの独立した生命として尊重しなければなりません。このことに気づかずに子どもを自分の所有物のように考えてしまうから虐待のような痛ましい事件が起きてしまうのです。
この尊重の態度は、しょうがいの有無は関係有りません。しょうがいを理由に、自分の保護下に囲ってしまうと過保護になったり、妄信的な介助しかできなくなってしまいます。
親というものは「保護者」であって「統治者」では無いことを、認識する必要があります。
そして、「コラム11」で述べたように、全生命のつながりの中で考えると、親子のつながりというのは、とてもちっぽけで短いつながりでしかありません。だからこそ同レベルの生命として親子・きょうだいの関係を考えれば、互いに尊重し、大切にしなければ、いともたやすく壊れてしまいます。
「きょうだい」という枠をはずして、「命あるものたち」という枠に置き換えてみると、新しい視点がひろがると思います。
「きょうだい」という呪縛に悩まされている、方々に考えてみていただければ幸いです。


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