いきること vol.11
「しょうがい」を作る?
ウィリアムズ症候群がヒト7番目染色体の欠失によるものであることは、ご承知のことだと思います。
いわゆる「染色体異常」は、数え切れないほどあります。
なぜなら、どの染色体の、どの部分に異常が起きても不思議ではないからです。
染色体の変容すべてに名前をつけていたらキリがありません。
世の中には「しょうがい」と名の付く状態が、無限にあるといっても良いかもしれません。
先天性、後天性にかぎらず、私たちが思い描いていた状態とは違う状態になった時、それを「しょうがい」と呼ぶときがあります。
その「しょうがい」について、既存概念にメスを入れてみようと思います。
舞台を広げて、この地球をざっとながめてみましょう。

この惑星に、どれだけの生命があるでしょうか?
ウィルス・菌・プランクトンなどの小さな生命たちは、生態系ピラミッドの底辺でおびただしい数を誇っています。
植物・昆虫だって何万種類とあり、まだ未発見の種類があるといわれています。
動物でさえ、その正確な生命体の数を把握することは困難です。
地球上の人口でさえ、推定人数です。
この何桁で表せるか分からないほどの生命たちのうち、「しょうがい」という状態を認識しているのは、いったいどれだけの数なのでしょうか?
それぞれの生命体には基本構造がありますが、この基本構造がDNAのレベルで異変をおこしたり、事故などにより構造の一部を失ってしまうことがあります。
このような「変化」は、ヒトに限らず、あらゆる生命で起きているはずです。
「多指症」という形状異常がありますが、プラナリアという生物にメスを入れて、体の一部を複数に分けても病名は付きません。基本構造の形の方も、部分分割した方も同じ「プラナリア」です。
プラナリア
扁形動物の一種。水中に生息する外見がナメクジに似た生物。
再生能力が強く、多数切断しても再生して元の形に戻ろうとする。ただし、切断面によっては、変形した形に再生されるが、生命は維持される。切断方法によっては多頭のプラナリア、多尾のプラナリアなどを人工的に作り出すことが可能。
ヒトが事故などで四肢の一部を失うと「○○の損傷によるしょうがい(X級)」という表現で、「しょうがい者」になることがあります。
しかし、雑草を根っこごと引き抜いたり、樹木を高枝切りばさみで切り刻んでも、私たちは植物に「しょうがい」を与えているという認識は全くと言って良いほどありません。
野良犬が3本足であるいていても、「かわいそう」と思うことはあっても、道をゆずってあげようとまでは思わないかもしれません。
ゴキブリに向かって殺虫剤を噴射している時の自分が、アウシュビッツ収容所に指令を出すヒトラーと同じ事をしているという意識はきっとないでしょう。
「しょうがい者(児)」という概念はあっても、「しょうがい生物」という概念を、私たちヒトは持っていないのが現実です。
つまり「しょうがい」は、ヒトがヒトのために作り出した生物界では誠に自己中心的な考えなのです。
遺伝子に組み換えが起きたヒトは「しょうがい」のあるヒトとして福祉で救おうとする一方で、遺伝子組み換え食品は危険だと言って忌み嫌うのが、現代の人間です。
以下、反発を恐れずに述べさせていただきます。
ウィリイアムズ症候群の場合、大動脈狭窄等で命に関わる重篤な状況になりうることがあります。
また、知的しょうがいによって、社会参加・日常生活において周囲に迷惑をかけたり、自己表現ができなかったりして困ることがあるでしょう。
でも、それがウィリアムズ症候群なのです。
それを理由に、手帳の等級が上がった下がったと騒いだり、手当が支給されるされないで、慌てたり大きな声を上げる必要は全くないのです。
ヒトが勝手につくりだした「しょうがい」という概念に踊らされて、制度化された国家のもとでしか認められない福祉制度の受給権について感情を荒立てるのは、生命全体のレベルで考えると、とても自分勝手なことなのです。
福祉制度が充実するということは、国が約束事としてハンディキャップのある人々を支えると言うことです。一見、素晴らしいことのように思われるかもしれませんが、同時に非常に寂しいことでもあるのです。
なぜなら、国が制度化しないと弱者を支えることができない、隣人や親しい間柄の自発的な慈しみのココロで支えることが出来ない、余裕のない人間が多い国とも言い換えることが出来るからです。
「しょうがい」も「ウィリアムズ症候群」も、ひとつの「概念」です。
実態のない概念に縛られてしまうと、生命としての自由を奪われてしまいます。
本当に命あるものとして生きるには、エゴによって生み出された「しょうがい」という概念をすてて、今目の前にいるその人間を、ありのまま観察して、受け入れて、この瞬間に鼓動があることを愛おしむことが大切なのかもしれません。


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