

「こまったな」って おもう ときは どんな とき?
みなさんは、まいにち たのしく くらしていますか?
おともだちと あそんだり、おうちの ひとと なかよくすることは とても たのしいですよね。
でも、まいにち ずっと わらって いることは むずかしいこと です。
ときどき、かなしくなる ことが あるかもしれません。けんかを して おこってしまうことが あるかもしれません。そして、やりたいことが じょうずにできずに こまってしまう ことが あるかもしれません。
あなたが こまっててしまう ときは、どんな ことですか?
べんきょうが むずかしいこと。ともだちと なかよく できないこと。
じょうずに およげないこと。がっこうに いきたくない ひが あること。
みんなのまえで おはなしすることが とても はずかしいこと。だいじなものを なくして しまったこと・・・。
わたしたちには みんな こまっていることが たくさんあります。
みんな「こまったな」と かんじながら 生活(せいかつ)しているんですね。

<<大人の方へ>>
しょうがいの定義は、いろいろな説があります。国際疾病分類(ICH)という世界共通のしょうがいの定義はありますが、「しょうがいがある」と断定することは困難なことです。ここでは、しょうがいに対する理解の第1歩として、子ども自身が身近に感じている「困り感」を再認識させることで、しょうがいのある人が日常生活で常に意識させられている「困り感」への共感のためのアプローチを目的として執筆しました。

びょうき になったら・・・
びょうきに なったら びょういんへ いって おいしゃさんに みてもらいますよね。
ちゅうしゃをしたり、くすりをのんだりして、びょうきがなおるまで まちます。
びょうきに なったときの ことを おもいだして みてください。
いたかったですか、かゆかったですか。
げんきが なくなって うごけなくなったり ねつがでたり しましたか。
もしかしたら、ごはん も たべられないくらい つらかった ひとも いるかもしれませんね。
でも、だいじょうぶです。ほとんどの びょうきは なおります。
それは、わたしたちの からだには びょうきを なおす しくみがあるからです。
その しくみを つかって、おいしゃさん や くすりが びょうきを なおす てつだいを してくれます。
ところが、4つだけ こまったことが あるのです。
その4つの こまったことを、じゅんばんに おはなし しましょう。

<<大人の方へ>>
人間、若いうちはあまり病気のことを気にしない傾向があります。とくに、子どもは病気について日常的に注意していることは少ないことでしょう。慢性疾患でお悩みのお子さんもたくさんいらっしゃると思いますが、このコーナーでは話を簡略化するために、顕著な病状のない子どもの目線で話をしています。何らかの、治療困難な疾患のあるお子さんには、自分の病気のことについてより深く知るきっかけとなり、また他の疾患にも視点をむけることで、病気に対する認識がプラス面に広がることを期待しています。

びょうきの はなし (1)
びょうきには、4つの こまったことが あると いいましたね。
まず1つめの、こまったことを おはなし します。
びょうきには たくさんの しゅるいが あります。
おなかが いたくなったり、ねつが でたり するのは、からだのなかの ばいきんが たくさん ふえるからです。
ばいきんは、わたしたちの からだのなかにある えいようを とって じぶんたちが たべてしまいます。
だから、ばいきんが ふえすぎると、からだの げんきが なくなってきます。
ばいきんは、つよい ばいきんと、よわい ばいきんが います。
よわい ばいきんは、わたしたちの からだのなかにある「ばいきんを やっつける なかま」が、やっつけてくれます。
すこし つよい ばいきんは、くすり や ちゅうしゃ をすると、ばいきんが まけてしまいます。
しかし、とても つよい ばいきんが います。
わたしたちの からだの ちからでは、やっつけることが できません。
くすりを のんでも、つよい ばいきん には ききません。
ばいきんが かってしまうのです。
つよい ばいきんに やられると、わたしたちのからだは うごけなくなったり、ながいあいだ げんきが でなくなってしまいます。

<<大人の方へ>>
ここでは免疫機能を中心とした菌類やウィルスの話題をとりあげました。もちろん病気には、糖尿病などのように内部機能の不全や、精神疾患のように体内メカニズムの低下によるもの、悪性新生物(がん)などの、直接的な外部因子によらない病気もたくさんありますが、子どもの理解レベルを考慮して病原菌の例をあげたことをご了承ください。

びょうきの はなし(2)
びょうきの 2ばんめに こまったことを おはなしします。
みなさんは、「けが」をしたことが あるでしょう。
はしって ころんで ちがでたり、あついものを さわって やけどを したり したかもしれません。
もしかすると、あそびや うんどうで ほねが おれた ひとも いるかもしれません。
ちょっと血(ち)がでたり、手(て)や足(あし)のほねが おれても、げんきな みなさんなら しばらくすると なおって もとどおり になおります。
みぎの しゃしんは「ミロのヴィーナス」という、とても ゆうめいな 石像(せきぞう)です。
「ギリシャ神話(しんわ)」という、おはなしに でてくる おんなの かみさまの かたちを 石(いし)でつくったものです。
ところで、よくみると、腕(うで)がないことに きづきましたか?
この石像は、おおむかしに つくられました。さいしょに できたときは、どちらの腕(うで)もありました。けれども、戦争(せんそう)があったり、すむひとたちが かわったりして、つちのなかに うもれて しまったのです。
そのご、なんびゃくねんも そのままでした。あるひ、ひとりの人(ひと)が、はたけを ほっていて この石像をみつけました。でも、みつけたときは もう つちのなかで ボロボロに なっていました。
けれども、なんとか じょうずに ほりだしたのが この「ミロのヴィーナス」なのです。
おれてしまった 腕(うで)は、さがしても みつかりませんでした。
わたしたちも、事故(じこ)や びょうきで、からだの どこかが なくなって しまうことが あります。すこしだけなら もとに もどることが ありますが、おおけがを すると もとには もどりません。
手(て)や足(あし)などが、なくなってしまうと、もとにもどすことができないのです。

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「身体しょうがい」の欠損についての話です。四肢や体幹機能のしょうがいの原因はさまざまですが、子どもにとって、明確に分かる題材として肢体の欠損を選びました。他の障害や原因についてはのちのEpisodeでふれる予定です。ヴィーナス像について、女性の上半身裸体ではありますが、古典美術として確立されていること、教科書等でもとりあげられている例があることから、画像の掲載は妥当であると判断しています。

びょうきの はなし(3)
3つめの はなしは、すこし むずかしい はなしです。
いままでの はなしで、いろいろな びょうきが あることが わかりました。
びょういんへ いけば、くすりや ちりょうで げんきに なるのですが、「なおしかたが わからない びょうき」が、たくさんあります。
いろんな ひとたちが、なおす方法(ほうほう)を、しらべています。でも、まだまだ わからないことが たくさん あるのです。
げんき100点(てん)のひとが、あるひ、びょうきに なってしまいました。
びょうきに なったので げんきが40点に なってしまいました。
このままだと、どんどん げんきが なくなって、0点になると しんでしまいます。
だから、おいしゃさんは、げんきに なって もらおうと おもって がんばります。
でも、なおしかたが わからないので、どんなに がんばっても 40点のげんきの ままです。
よのなかには、100点のげんきに もどせない びょうきが あるのです。
でも、むかしは なおせなかった びょうきが いまは なおせるように なったものも あります。
しゃしんの おんなのこは、100ねんくらい むかしに びょうきで しんだ おんなのこです。
びょうきが なおらないまま しんでしまった すがたが この しゃしんです。
むかしは びょうきの なおしかたが わからなくて たくさんのひとが しんでしまいました。
いまの じだい だったら、なおった びょうき かもしれません。
みなさんが おとなになって びょうきの けんきゅうをして、びょうきを なおす ほうほうを みつけてくれると、たくさんのひとが とても よろこぶとおもいますよ。

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写真はイタリアに実在する、防腐処理によりミイラ化した2歳の少女です(死因は肺炎と伝えられる)。すこしショッキングな画像かもしれませんが、死についてしっかりとイメージしてもらうために起用しました。20世紀初めに死亡したと記録されています。病院で息を引き取り、葬儀業者によってあっという間にお別れをすませ、火葬して墓に埋葬される、現代の「病から死に至るプロセス」は、ちいさな子どもにとっては、病気と死のイメージに距離があるように感じます。
命と死は、表裏一体であり、その間に経験する病も深く関係します。だからこそ、病気であろうとしょうがいであろうと、生きているということを大切にすることを、知ってほしいと願います。

びょうきの はなし(4)
さいごに、4つめの はなしを します。
だれにも なおせない びょうきが あります。
「いのち」がうまれた しゅんかんに びょうきに なります。
そして、しぬまで ずっと びょうきの ままです。
これを むずかしい ことばで「せんてんせい の しっかん」といいます。
うまれるときに、びょうき ということが きまっているのです。
びょうき のほかにも、いろいろな ことが きまっているのです。
たとえば、いっぴきのネコが、うまれたと します。
ネコはライオンをみて、「わあ、つよそうだな。ライオンになりたいな。」とおもいました。
おおきなからだに なるために ごはんを たくさん たべました。
あたまの まわりに、ふさふさの たてがみ を つけてみました。
つよそうな なきかたの れんしゅうも しました。
けれども、いつまでたってもライオンに なれません。
どうしたら、ネコがライオンになれると おもいますか?
これは、だれも どうすることも できない ことなのです。
「いのちの もと」が「いのち」になった、しゅんかんに、「ぼく」や「わたし」がうまれます。
どんな かたちで、どんな ことが できるのか、ということは、この しゅんかんに きまります。
この、とてもだいじな しゅんかんに、「びょうき になる」と、きまる ときが あります。
いちど きまってしまうと もう かえることが できません。
「ウィリアムズしょうこうぐん」になることも、この いのちが できる しゅんかんに きまります。
びょうきに なる しくみは すこしずつ わかって きました。
けれども、だれが、いつ、どうして、びょうきになるのかは、 まだ だれにも わからないのです。
しゃしんは、おかあさんの おなかの なかにいる あかちゃんの しゃしん です。
まだ、こんなに ちいさいのに、どんな にんげんに なるのか きまっているのです。

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遺伝子疾患についての、簡単な説明です。小学生にとって生命の発生の話をすることは、高次元なことです。あきらかな遺伝性をのぞく、遺伝子疾患のほとんどの原因が突然変異によるものですが、諸説をとりあげるよりも「わからない」とするほうが、子どもたちにとっては納得しやすく、かつ生命の神秘について興味関心がわくと考えました。
「命のもと」と表現した、減数分裂した精子や卵が突然変異をおこす直接の原因は不特定であることが事実であり、遺伝子疾患をもったことを、どちらかのせいにすることは、ふさわしくないことでありますし、その親のどちらにも責任はありません。
詳細は、大人向けの「ひあたり良好+」で説明しますが、遺伝子疾患の原因について、深く追求することは無意味なことです。

「しょうがい」とは
「いのちの もと」が「いのち」になる とき。
この、とてもだいじな しゅんかんに、「びょうき になる」と、きまる ときが あります。
いちど きまってしまうと もう かえることが できません。
びょうきに なる しくみは すこしずつ わかって きました。
けれども、だれが、いつ、どうして、びょうきになる と、きまるのかは まだ だれにも わからないのです。
そして、しょうがいがあるのは、わたしたち 人間(にんげん)だけでは ありません。
いちばん うえの しゃしんは あしが 7ほん ある ひつじ です。
まんなかの しゃしんは あしの かたちが かわって うまれて きたカエルです。
いちばんしたの くさ は、うしろの おなじ なかまの ように、いつまでたっても おおきくなれません。
このしゃしんをみて「へんだな」と、おもう ひとが いるかも しれません。
「かわいそうだな」と、おもう ひとが いるかもしれません。
でも、この ひつじも、かえるも、くさも、じぶんのことは へんだと おもって いません。
「こまったなあ」と、おもっているかもしれませんが、「へんだ」とはおもって いません。
この いきものたちは、この すがたが うまれて きたときから、これで ふつう だからです。
せかいじゅうの いきものは、いろいろな しょうがいが あるのです。
しょうがいは、めずらしい ことでは ないのです。
だから、しょうがいが あっても なくても わたしたちは、おなじ なかまだと おもって いきていかなければ いけないのです。
そして、「たすけてください」といわれたら、しょうがいがあっても、なくても、たすけようと おもう きもちに なることが たいせつなのです。



<<大人の方へ>>
画像について、グロテスクであると指摘したくなるかもしれません。しかし、これらの写真を見ても、このような姿の生命が存在すると受容するこころを、子どもにもって欲しいのです。
福祉の現場では、目を合わすのがつらいようなしょうがいとであうことがあります。しかし、これは私のこころのありかたが未熟であるということにすぎません。必要なのは「慣れ」ではなく「受容」するということです。
残念なことですが、私たちは「偏見することに慣れている」ことが往々にして多いことに、改めて気づく必要があります。そして「うけいれる」ことへの努力が必要です。

しょうがい は いろいろ あります。
「しょうがい」は、だれでも、どんな いきものでも あるということが わかりましたね。
もういちどだけ、おさらいします。
「しょうがい」は、「なおすことが とても ずかしくて、そのせいで いきていくことが とても たいへん」と、いうことです。
そして、しょうがい には、いろいろな しゅるいが あります。
しょうがいは、「しょうがいのある いのち」のかずと、おなじだけの しゅるいが あります。
つまり、かぞえきれないのです。
にんげん のばあいも、おなじです。ひとり ひとり、それぞれ しょうがい が ちがいます。
そうすると、「わたしは、こんな しょうがいが あります」と、おはなしするときに、かんたんに つたえられなく なってしまいます。
どんなことに こまっているのか、なにが できないのか、どんなふうに くるしいのか・・・。
しょうがい を せつめい するには、とても ながい じかんが かかります。
だから、しょうがい の ことを、すこしでも わかりやすく するために、しょうがいの ことを けんきゅうした ひとたちが、しょうがいの しゅるいを いくつかに わけました。
(1)からだ ぐあい の しょうがい
(2)あたまで かんがえること の しょうがい
(3)こころで かんじること の しょうがい
(4)からだ と あたま と こころ の3つを ちょうせつ すること の しょうがい
もっと、たくさんの しゅるいに わけることが できますが、だいたい この4つです。
なかには、この4つの しょうがい が 2つや3つ いっしょに あるひとも います。
つぎのコーナーから、それぞれの しょがいに ついて かんたんに せつめい していきます。
しゃしん は しょうがい の イメージ です。うつっている ひとたち は しょうがいの あるひと では ありません。



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しょうがいの 区別について詳細に分けて話をすることはナンセンスであると考えています。説明のとおり、その状態は無数にあり、また重複して現れることも多々あることだからです。各国のいわゆる「福祉関係の法律」に定められた区別と、現実とは乖離していることがあります。法にある障害は、人間が定めて線引きしたものであるため、「いのち」という視点で考えると一致しません。
しかし、しょうがい の理解を深めるための手段として、しょうがいを区別することは、子どもに系統立てて説明するためには、有効な方法とも考えられます。Episode 07までは、生命全体としてのしょうがいについて、説明をしてきました。これをふまえたうえで、以降のEpisodeを読み進めることをおすすめします。

(1)からだ の ぐあい の しょうがい
まずはじめに、からだ の ぐあい に しょうがい のある ことの はなしを します。
わたしたちの からだには たくさんの ぶぶんが あります。
手(て)、足(あし)、目(め)、耳(みみ)、顔(かお)・・・。
それから、かんたんに みることが できませんが からだの なかにも、たくさんの ぶぶんが あります。
いきをする ための肺(はい)、えいようを とるための胃(い)や腸(ちょう)、おしっこを つくるための腎臓(じんぞう)、からだじゅうに えいようを はこぶ血(ち)、その血をはこぶために うごいている心臓(しんぞう)・・・。
とても おぼえられないくらいの ぶぶん が あつまって、わたしたちの からだは できています。
そして、ふしぎなことに なにも がんばらなくても ふだんは、それぞれの ぶぶんが きちんと はたらいて くれています。
「さあ、おしっこを つくろう」とおもって、おしっこを つくっている ひとが いますか?
「しんぞうを うごかすぞ」とおもって、いっしょうけんめい うごかしている ひとが いますか?
ねむっているときに、「いきを しよう」とおもいながら、ねていますか?
しょうがい や びょうき のないときは、わたしたちの からだは、かってに いきて はたらいて いるのです。
手(て)や足(あし)のことについても、かんがえて みましょう。
しょうがい や びょうきの ないときは、すきなように うごかせます。
がっこうまで あるくこと、しょくじ のときに おはしで たべること、かゆいところを かくこと・・・。
やろうと おもえば、すぐに からだが うごかせます。
しかし、おもっても うごかせない ひとたちが たくさんいます。びょうき や じこ で、うごかしたい ぶぶんが なくなってしまった ひとたちも います。
ほかにも、いろいろな からだの しょうがい があります。
くち や はな で いきが できない ひと。ごはんを たべても えいようが じょうずに つくれないひと。
おしっこ や うんち が トイレで だせないひと。ばいきんを やっつける ちからが ないひと など・・・。
「ウィリアムズしょうごうぐん」のひとは、心臓(しんぞう)の かたち が かわっている ぶぶんが あるので、血(ち)をじょうずに からだじゅうへ ながすことが できません。
血(ち)は、からだじゅうに えいよう などの だいじな ものを はこんだり、いらなくなった ごみ や よぶんなものを からだから だすために、からだのなかの すみから すみまで ながれています。
ところが、心臓(しんぞう)の ちょうしが わるくて じょうずに 血(ち)が ながれないと、くるしくなったり、いろいろなとろころが びょうきに なったりしまいます。
だから、「ウィリアムズしょうこうぐん」のひとのなかには、たくさん はしったり、みずに もぐったりすることが できない ひとが たくさんいます。
もし、「ウィリアムズしょうこうぐん」のひとが、うんどうのときに やすんでいても、からだを まもる ために やすんでいるのです。
めの ふじゆうな ひとの ための 「てんじ」という、さわって よむ じ の いた です。
あしの ふじゆうな ひとが つかう、くるまいす という だいじな のりものです。
きゅうに しんぞうが うごかなくなったときに つかう きかいです。
<<大人の方へ>>
身体しょうがいについては「身体障害者福祉法」でその範囲が定められています。種類だけで16種類に及び、その程度によりさらに等級が細かく規定されています。
子どもにとって、肢体不自由以外の身体しょうがいは、すぐに理解できないことがあります。特に内部しょうがいや免疫機能しょうがいは、おとなでも気づかないことがほとんどです。
ウィリアムズ症候群の場合、大動脈弁上狭窄などが顕著で、日常生活に支障がある場合は、身体しょうがい者手帳が交付されることがあります。法律上で重度の障害が認定されたとしても、子どもたちにとって、見た目がかわらなければ しょうがい に気づくことはまれです。
心臓への負担に特に注意を要する場合は、保護者や指導者が、ウィリアムズ症候群本人をとりまく人々への適切な周知と理解を求めることが、必要かもしれません。

(2)あたまで かんがえること の しょうがい
「かんがえる」ってなんだろうね。
みたこと、きいたこと、かんじたこと、いろいろな ことが、わたしたちに つたわって きます。
その つたわってきたこと を、いままで おぼえてきたこと と くらべて、いま つたわって きたことが、いったい どんなことなのか、そして どうすればいいのか という こたえを だすことが「かんがえる」っていうことなんだ。
「どうろに とびだす」は「くるまがくる かもしれない」だから「 あぶない」 という こたえが でてくる。
「おみせで ほしいものを みつけた」は「かってに もってかえったら いけない」だから「おみせのひと に おかねを はらって かおう」という こたえが でてくる。
「きゅうしょくを たくさん たべた」は「おなかが いっっぱいになった」だから「もう、ごちそうさま にしよう」。
こうやって、わたしたちは まいにち いつも なにかを かんがえながら いきています。
魚(さかな)や虫(むし)だって、かんがえながら いきています。
「どうやったら じょうずに えさを つかまえられるか」
「どうしたら てきに つかまらないように にげられるか」
けれども、「かんがえること」にも しょうがい が あります。
目(め)で みたり、耳(みみ)で きいたり しても、どうしたら いいのか わからない ことが あるのです。どうして、わからないのでしょうか?
1)みたり、きいたり することを「刺激(しげき)」といいます。
2)いままで おぼえて きたことを「記憶(きおく)」といいます。
3)そして、どうすれば いいか きめた こたえ を「反応(はんのう)」といいます。
1)たとえば、たべものの はなしを していて、「なにが すき?」ときかれます。(これが しげき です)
2)つぎに、「なにが すき?」という ことば から いろいろな ことを おもいだします。
「いまは たべものの はなしを している」「ハンバーグがおいしかった」「ピーマンは きらいだ」「いままでに どんな ものを たべたのだろう」「おいしいものは すきなもの」・・・など、たくさんの おぼえてきたこと が あっと いうまに あたまの なかで おもいだされます。(これが きおく です)
3)そうして「ハンバーグが すきです」と、こたえることが できます。(これが はんのう です)
(1)しげき ー(2)きおく ー(3)はんのう は、でんきゅう のように せん で つながっています。
(1)スイッチをいれる ー(2)でんき が ながれる ー(3)あかるい ひかりがでる ということと、よく にています。
かんがえること の しょうがい が あるひとは、この せん が じょうずに つながらない ときが あります。
そうすると、なにかが あっても じょうずな こたえが だせない ときが あります。
たべものの はなしを していて「なにが すき?」と きかれても、「すき」という ことば だけが、せんのなかを ながれて「じどうしゃ」と、こたえてしまうことが あるのです。
かんがえる ことの しょうがい があると、むずかしくて こたえが だせないときに、だまったまま うごけなくなってしまったり、どうしたら いいのか わからなくて あばれてしまったり することがあります。
そんなときは、ことばを かえたり、絵(え)で おしえてあげると、じょうずに こたえが だせることが あります。
「ウィリアムズしょうこうぐん」のひとも、かんがえる ことの しょうがいの ある ひとが たくさんいます。じょうずに こたえが だせないときは、こたえを だしやすい ほうほうを かんがえて あげて みてください。

ロダンというひとがつくった、「かんがえる ひと」という ブロンズ像(ぞう)です。京都(きょうと)というところにあります。なにを、かんがえて いるのかな?

スイッチをいれると、でんきが つきます。でんきが つかない ときは、でんきが ながれるように ほうほうを かんがえることが ひつようです。

かんがえる ことが むずかしい ときは、ことばを かえたり、絵(え)で つたえたりすると、かんがえた こたえが わかるように なることが あります。
<<大人の方へ>>
知的しょうがい についての解説です。知的しょうがいも、個々の差がおおきく、おなじ人間でも、条件が変わってくると、反応が大きく変化することがあります。
一般的に、知的しょうがいは知能検査をつかって、知能指数を算出することでその程度をはかることにしています。知能指数は、検査キットやその時の条件で、変わることがありますので、かならずしも絶対的な知能指数が判るわけではありません。
法律では専門機関が検査をおこない、その結果しょうがいがあると認められた場合は、知的しょうがいがあることを証明する手帳が発行されます。
この結果は、しょうがいのある本人との関係がうすいひとに対して、しょうがいの程度を示す目安として有効に使うことができます。

(3−1)こころで かんじること の しょうがい(その1)
みなさんは、「にんじん」は すきですか?
カレー、にくじゃが、サラダ・・・。きゅうしょく にも いっぱい でるよね。
にんじん のことを きいてみると だいたい3つの こたえが かえってくる。
* ひとつめは、「すき」
* ふたたつめは、「きらい」
* みっつめは、「どっちでもない(わからない)」
あなたは、どんな こたえかな?
どうして、おなじ にんじん なのに かんじることは ちがうのだろう。
はじめて たべるときは、にんじんの あじが わからない。
そして、さいしょに たべたときに、どう かんじたか、ということが あたまの なかに ずっと のこるのです。
じつは、これも「かんがえること」と、よく にている しくみが あるからなのです。
「いやなこと」があったら、つぎからも にたような ことが おきると「ああ、いやだ!」と、おもってしいます。
「いいこと」があったら、つぎからも にたような ことが おきると「ああ、うれしい!」と、おもってしまいます。
「かんじる」ということは、そのひとが いままで 経験(けいけん)したこと で かわってくるのです。
つまり「かんじている」ことは、いままでの おもいで に だまされている ということです。
みなさんは、いつも いろいろな ことを かんじて いると おもいます。
でも それは ずっと つづく きもち では ありません。
うれしいとき、おこったとき、かなしいとき、たのしいとき・・・。
いろいろな きもちが、コロコロといれかわって いきているのが わたしたちなのです。
そして、「どんどん いれかわる きもち」 に、「からだ」や「あたま」が、ついていけなくなると こころのびょうき に なってしまいます。

みる ひとに よって にんじん の かんじかた が ちがいます。




こころの かんじかた で、たいど や ひょうじょう が かわって しまいます。
<<大人の方へ>>
「感じる」ことについて科学的な解明は、まだ完全ではありません。脳神経学においても、認知心理学においても、多くの実験結果から「感じる」しくみについて判明しつつありますが、研究は発展途上です。
したがって、科学的に解説することについて限界があります。「こころ」についての説明は、いくらか主観的な記述をさせていただきます。不適切な場合は、適切に読み替えてください。適切か不適切かも「感じ方」の問題ですから・・・。

(3−2)こころで かんじること の しょうがい(その2)
「こころ」は、かざぐるま のような ものです。
みたり、きいたり、さわったり、かんがえたり すると、「刺激(しげき)」という 風(かぜ)がふいて、くるくる まわります。
こころが くるくる まわって いるときに、わたしたちは「かんじている」のです。
ですから、いきている かぎり、こころ は ずっと まわり つづけています。
みたり、きいたり、さわったり、かんがえたり することが、どれも ぜんぶ できなく なってしまうと しんでしまいます。
「かんじている」ということは、いきている しょうこ なのです。
かざぐるま は、よわい かぜ が ふくと、ゆっくりと まわります。
つよい かぜ が ふくと、はやく まわります。
あらしのような はげしい かぜ が ふくと、こわれて しまいます。
こころの びょうき にも、たくさんの しゅるいが あります。
すぐに わかるのは、あらしで かざぐるまが こわれた ときです。
たくさんの あらしのような できごとが こころに ぶつかって くると、こころの かざぐるまが いそがしく まわりすぎて、さいごに こわれてしまいます。
すこし おれた くらい なら、ちりょうを すれば なおります。しかし、ボロボロになってしまうと なおすために とても じかんが かかる こともあります。
かざぐるま は、羽根(はね)だけ では、うごきません。
羽根(はね)や軸(じく)や歯車(はぐるま)など、いろいろな ぶひんが あつまって うごくことが できます。
しゃしんの ペットボトルの かざぐるま も、羽根(はね)と軸(じく)と ささえの棒(ぼう)の3しゅるいの ぶひんで できています。
にんげんの こころの かざぐるま は、とても むずかしく つくられて います。
どこか ちいさな ぶぶんの ちょうしが わるく なっただけで、じょうずに まわらなく なって しまうことが あります。
たくさん かぜが ふいても、すこししか まわらない ことが あります。
すこし かぜが ふいただけで、ものすごい スピードでまわって とまらなく なることも あります。
こころは、きかいのように ぶひんを こうかんして なおすことが できません。
こころの びょうきに なったら、じかんを かけて ちょうせつを しながら、すこしずつ なおしていきます。
みんなの しっている「てのひらを たいように」という うた に、こう かかれています。
<1ばん>
ぼくらはみんな生(い)きている
生(い)きているから悲(かな)しいんだ
<2ばん>
ぼくらはみんな生(い)きている
生(い)きているから笑(わら)うんだ
ぼくらはみんな生(い)きている
生(い)きているからうれしいんだ
(【曲名】手のひらを太陽に 【作詞】やなせたかし 【作曲】いずみたく より引用)
かんじる ということが、いきている ってことが よくわかるね。

きかいの ふうしゃ は、かぜが ないと まわりません。
しかし、わたしたちは、いつも なにかの刺激(しげき)をうけて、こころが まわり つづけて います。

はね だけでは かざぐるま は まわりません。
<<大人の方へ>>
精神疾患についての記述です。精神しょうがいという表現も可能ですが、疾患としょうがいの境界線は、グラデーションのように不確定です。
ここで、子どもたちに知ってほしいのは、精神的なしょうがいのことではなく、精神(こころ)が、命を維持することと密接に関係しており、自他ともに心を慈しみ合うことが大切であるということです。
そのために、心が活動するプロセスの一部を、風車をたとえにして、表現しました。

(4)からだ と あたま と こころ の3つの ちょうせつ を することの しょうがい
わたしたちは、「こころ」「からだ」「あたま」の3つが、いきるために ひつようだと わかったね。
そして、もうひとつ だいじなことが あります。
「こころ」と「からだ」と「あたま」を、しっかりと つなげておきましょう。
みなさんは、テレビゲームを したことが ありますか?
「こころ」がコントローラーだとします。
「あたま」はゲームのきかいです。
「からだ」はテレビの画面(がめん)に うつった ゲームの絵(え)です。
コントローラーだけでは、ゲームができません。
ゲームの きかい だけでは、ゲームができません。
がめん だけでは、ゲームができません。
3つを つないで、はじめて ゲームができるのです。
わたしたちも よく にています。
それぞれが きちんと つながって いなければ いきることが たいへんに なるのです。
「あたま」が とてもよくて、いつも べんきょうは 100点なのに、おともだちを いじめるばかりすると こまります。
「からだ」がげんきで、はしることが とくいでも、せんせいの おはなしを だまって きけないと こまります。
「こころ」がとても やさしくて ニコニコ していても、きょうかしょの どこを よんだら いいのか わからないと こまります。
「こまること」は、わるいこと では ありません。
「こまっている ひとたち」は、せかいじゅうに ほんとうに たくさん います。
だから、みんなで こまっているひと を たすける ほうほう を かんがえたら いいのです。
それは「ちからを かして あげる」かもしれません。
それとも「やさしく おしえること」かもしれません。
もしかしたら「じっと そばに いるだけ」でいいのかもしれません。
たすける ほうほう は、こまっている ひとの かず だけ あります。

おはなしを じょうずに きけない おともだちも います。

ノートをかくことが にがてな おともだちも います。
<<大人の方へ>>
ここでは、発達しょうがいとよばれる分野について説明をこころみています。発達しょうがい は、非常に広範囲な項目について評価して判断するものだと考えています。なにごともなく暮らしている、わたしたちでさえ、医療機関によっては発達しょうがいと判断される場合も考えられます。それほど、定義が困難であり、かつ汎用的に判定されやすいしょうがいです。
このEpisode 13は、「説明のこころみ」ですので、発達しょうがいを心配される場合は、専門機関(特に医師)に相談することをおすすめします。

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